プロジェクト
ムサビ生が書く!長浜滞在記 WEEK 3 〜渡邉美心〜

さぁ!1ヶ月に及ぶ滞在リサーチ&制作も折り返しです!朝日町にある築100年以上の歴史を持つ町屋「吉田邸」を中心にあらゆる関係者にあたり続け、家の隅々をひっくり返し、なんと果てにはポートランドまで歩を進めております。いったいその歴史や、住んでいた人々の物語をどうやって紡いで、新しい家財道具の使い方を提案するのか。見ものです!今週はWEEK3、”みこさん”こと渡邉美心さんお登場です!独特な文体がいいですね〜! 石井
武蔵野美術大学造形構想学科クリエイティブイノベーション学科に在籍しております、渡邉美心と申します。「空き家再生のナラティブデザイン」というプロジェクトで長浜に滞在しております。滞在日記執筆の三番手を務めます。よろしくお願い致します。
まだ眠そうな太陽は私を道連れにする。
時刻を見る。目覚し時計は二時間後に仕事をするようだ。こんなことは滅多にない。ご機嫌である。
隣には左右に、宿を共にする学友の寝顔。眠る彼女たちは知らない人に見える。実に不思議で、これが明日も明後日も続く訳はないような気がする。まだ夢をみているのかもしれない。
朝はいつもおもしろい。
ここ最近は友人の背中にりんご印のスマートフォンのアラームで目が覚める。長らく、そして今も我が相棒にはこの印がないものでこんな音はどうも私に新しい。曲の名前は「煎茶」というらしい。
今日を非日常と呼ぶつもりはないが、異日常であると思う。
長浜の日常は先日までの私の日常とは並行して存在していた。しかし今、二つが交わっている。そんな異日常では、はっとするようなことがある。驚く、いや、そんな刺々しいことではない。腑に落ちるというか、触れた輪郭を保ったまま自分の一部になったような感覚。ああ、今、納まったな、しっくりだ。そんな気持ち。
反対に長浜にとっての私はいかがだろうか。
私は今長浜にあるのだなと、ふと思う。
地図にある場所にはどこへだって行けるらしい。
私は今長浜にある。今は空き家となった、100年もの時間を含んだこの家のことが知りたかった。
古いモノは今この瞬間この場所に新しく作ることはできない。至極当然であるが、モノが等身大に時間を経て始めて「古い」という意味が加わる。よって、時間を含んでいるモノはその時間のみによってもある種の価値が与えられると考える。古いモノは古いというだけでなんだか感心させられる。そして一方で、時間のみによって価値づけられるとも限らない。時間以外の価値。ならばそれはどのような価値か。誰にとっての価値なのか。
記憶はそのひとつではないだろうか。この家の価値は、建物の価値だけではない。そんなことを確かめてみたくてここに来た。
朝の支度を終えて長浜カイコーへ向かう。暖かい一日になりそうだ。
途中、駅のホームにて黄色い線の内側でお利口な鳩が電車をじっと待っている。
私は彼の後ろに並んでいた。