プロジェクト

ムサビ生が書く!長浜滞在記 WEEK 1 〜濱田浩嵩〜

 

9/12から長浜カイコーに武蔵野美術大学の学生5名がやってきて、1ヶ月間ドップリ長浜の生活に浸かりながらプロジェクトを行なっています。今週から5週に渡り、リレー形式で学生5名に長浜滞在記を書いてもらいます!先陣を切るのは濱田浩嵩(ハマちゃん・写真右側)!松岡正剛が好き、古いレコードが好き、お宝探しに古い本屋を探す。おぉ、美大生らしいぞ…!とすぐさま思いました。では、先頭ヨロシクお願いしまーす!     石井

 


 

2022年9月15日、19時40分。長浜に来て4日が経った。

長浜に来たら(なにがなんでも)行かねばならないと言われたラーメン屋で、某格付け番組に悪態をつきつつ、チャーシュー麺と餃子を平らげた後、長浜カイコーにてこの原稿を書いている。味の濃いラーメンですっかり美味しさに染まった口に、珈琲はそぐわないと今まさに感じているところだ。こうまでして愛飲したくなってしまう珈琲は、罪深い。

 

さて、私は、東京にキャンパスを構える武蔵野美術大学の造形構想学部クリエイティブイノベーション学科に在籍している濱田浩嵩という者である。学科の必修授業である「産官学連携プロジェクト」の一環で「空き家に眠る家財道具をナラティブデザインの視点からリデザインする」ことを目的として、ここ長浜で1ヶ月の生活+制作を試みている。

 

10以上ものプロジェクトがあり、そこから1つを志望する中で、何故長浜でのプロジェクトを選んだのか。簡潔に説明するのも些か難しくはあるが、発端は普段自らが行っている活動に由来する。

 

私は学友と結成した2人組のアートコレクティブで、「都市」をテーマにした雑誌を定期刊行している。今のカルチャーの中に埋もれているものやそのカルチャーの源流を発掘し、新たな文脈に再配置するというコンセプトをその根幹に据えている。このプロセスとの共通項を、長浜における本プロジェクトの中に見た、というのが一つの理由である。雑誌には編集が必要であり、収集されたナラティブや文脈にも編集が必要だからだ。

 

加えて、「都市」をテーマに制作をしているにも関わらず、私が育った環境は文字通り大都市の東京であり、「常に育ち続ける」という、都市や街の半分の側面しか見たことがないことに一抹の危機感を覚えていたということも挙げられる。「空き家」という一度止まった時間の中で、物語が眠る家財道具という蓄積された時間を象徴するようなものを見つめ直すことによって、自らの「都市観」に新たな側面を持たせたかったのである。

 

少々前置きが長くなってしまったが、私が今、4日目の長浜において感じていることを言語化しておきたい。

 

一つは、生活と制作が結びつくことによって少しモノの見方が変わってきているということだ。正確に言うと、そのような”気がしている”。普段、私が東京で何かを制作している時には「作業場」と「自宅」は地理的、そして時間的に距離があることから、作業には正確に終わりと始まりが存在している。しかしながら、今回の長浜滞在において私が居住しているのは、家財道具が眠る家、まさにそこであり、私は制作の舞台の中で生活していると言える。自分の中で考えていた「制作」と「生活」の距離感やそれに基づく向き合い方の全てが通用するわけではない。混然一体となったこれらの中で(長浜カイコーも立地的に非常に近いからこそ)10月中旬のプロジェクト終了まで、対象物である家具や古民家と向き合い続けることで私を含む5人のメンバーはどう適応し、変容していくのだろうか。この原稿を書きながら、数多のナラティブを秘めた家具との邂逅は急務であると、その心持ちを新たにした次第である。

 

そんな中で、先述した「都市観」も私の中で今大きな音を立てて動いている。自分の中であまりにも大きいものと捉えていたからか、距離があった「街」というものを、長浜に来て急に自分の生活の中に入ってきたように感じている。入った店で店員の方と距離が近かったから?はたまた、夜は静かで、人通りが無く、街そのものの中に自らが埋没していくかのように感じられるからだろうか?恐らくその全てが理由だが、そびえ立つ長浜城や観光地的な様相も見せる黒壁スクエアと、あまりにも静かな夜の町。対比的な両側面から、この町を捉えてみたいと考えている。

 

長浜という街は私を突き放して見せたり、ときにその内側に取り込んで見せたりとなんとも忙しなく、恐ろしく、そして愛らしい。

 

私はそんなことを4日目の夜に考えたりしているわけである。

 

街の皆様、1ヶ月お世話になります。 街中でお会いした際には何卒よろしくお願いいたします。